「考える力」について

「考える力」を身に付けるのは易しいことではありません。

しかし、1つでも多く、「工夫したら簡単に解けた」とか「図を使ったら文章題の意味がわかった」とか、今まで解らなかった問題が解けた経験を増やしてあげると(要するに、成功体験を増やしてあげることです)、「考えて解く」ことの楽しさが分かってくるものです。

やがてそれが「自ら学ぶ力」(=自学力)になるわけで、学校や塾で成績がぐんぐん上がる子は、この経験が多い子どもなのです。

「記憶する」学習を、それが勉強だと思っている子どもたちが多いのは触れましたが、どれだけ無駄なエネルギーを使っているんだろう、と同情せざるを得ません。

これじゃ勉強そのものが面白いとはとても思えないでしょう。

「考える力」があるお子さんは「記憶」の量も少なく、省エネルギーの学習方法をとっていると言えます。

逆に、「円周率何ケタ覚えた」とか「歴上の出来事の年号をどれだけ覚えた」とか、記憶を競っている人たちをテレビ番組等で見たことがあると思います。

彼らはやみくもに丸暗記をしているわけではなく、自分なりの記憶術を作り上げ、「考え」て覚え込んでいるわけです。

「理解して」「覚え」そして「考える」

では、「考える」学習について、社会科を例にお話をします。

なぜ「考える」学習の話を社会科でするかと言えば、子供たちの間では社会科は「暗記科目」だと思われているからです。

保護者のみなさまの中にも、そう思われている方がいらっしゃるかもしれません。

それが間違いだとは言いませんが、決して「記憶」だけで済む科目でもありません。

確かに数学と違って覚えていく知識事項が多いことは間違いありませんが、だからこそ理解して覚える必要があるのです。

次の問題をご覧ください。日本の古代史の問題です。
【問】次の出来事を、古い順に並べかえなさい。
ア.墾田永年私財法 イ.公地公民 ウ.不輸不入の権 エ.三世一身の法

子どたちはこれらの出来事の年号を丸暗記しようとするか、順番を丸暗記しようとします。

しかし、それでは歴史の学習をしていることにはなりません。

歴史学習で重要なのは、時代の流れを理解することであって、理解の上に出来事を覚える作業が乗ってくるはずです。

歴史には必然性があって、唐突に出来事は起こりませんから、何らかの流れがあるわけです。

ましてや、小中学校で学習する歴史は日本史のごく一部です。

その教科書に登場する出来事は、明らかに時代の流れを大きく作り出してきた出来事なのですから、流れさえつかんでしまえば「丸暗記」の必要性はほとんどないはずです。

問題の解説をします。
ア.“墾田永年私財法”= 農地を新たに開墾した者は永久にその土地を私有してよい。(土地の私有を認める)
イ.“地公民”= 土地・人民は大王(天皇=公)のものである。(土地の私有を禁じた)
ウ.“不輸不入の権”= 荘園(私有地)への役人の立ち入り禁止と税の免除を受ける権利。

エ.“三世一身の法”= 新たに農地を開墾した者は三世代に限り土地の私有を認める。(土地の一部私有を認める)

もちろんこれらの出来事を詳しく解説すれば、これだけではお粗末なのですが、中学段階ではこれで十分です。

そして、これらは日本(大和国)を天皇中心の世の中にしていこうとする過程と、それに失敗して武士が台頭してくる期間の出来事です。

ですから、法の意味合いを理解し、年を追うごとに土地の私有状態がはっきりしてくることが解っていれば覚える必要もないのです。

漢字の中にそのことが盛り込まれているのですから、なおさら易しいといえます。

また、地理の学習も同様です。

地理の場合は“流れ”ではなくて“立地条件”などを理解することになります。

例えば、なぜ明治政府は新首都東京からほど遠い北九州に、八幡製鉄所を建設したのか、であるとか、なぜ日本の工業地帯が太平洋側に集中しているのか(太平洋ベルト)などです。

長くなるのでこれで終わりにしますが、地理はこれに「考える」が加わります。

立地を理解し、場所や産業を覚えた上に「統計」を読みとって「判断する」ことが要求されます(高校入試)。

いわゆる情報処理ができるかどうかです。

「考える」学習を社会科でご説明しましたが、すべての科目について同じことが言えます。

子どもたちの学習負担を軽減するためにも、「考える」学習を習慣付けてあげてください。

時間はかかりますが(受験間近になってからでは間に合わないので、なるべく早いうちに)、子どもたちにとって、将来に渡り大きな財産になると思いませんか。

そして、進研の卒業生はビリで高校へ進学しても、やがて学年トップクラスの成績を取るようになるのは、「考える」学習ができているからです。

これが私たちが子どもたちに持たせる財産なのです。